自分自身に変化を感じる。
難しいだろう、考えられない。
ありえない。
と、嘗ての自分なら思うだろう。
時間を損しているような思いで悲しい気持ちにもなっただろう。
現に今も何か損している気がしないでもない。
今日は気楽に休肝日。
と言うわけでもないが、
(だって正直気楽ではなく、今もウイスキイのボトルとにらめっこ状態、ある意味では実験的要素が大きいだろう・・・)
やってみよかと一日考えていた。
ぶっちゃけ昨日、一昨日とよく呑んだと思うので。
その所為か、体は思わしくない。
食事も完食できなかった。
代わりに、美味いメシ、酒にありつけ、
楽しい精神状態でいることができたという、
心の悦楽的思い出、記憶として残ってくれているが。
いつ頃からだろうか、その所謂「休肝日」なるものの必要性は感じていたし、意味もわかっていた。
ある時、年齢の頃から、二日酔いが二日酔いの域を超え、
現に体が信号を発信しだした。
人生で何度か呑み過ぎで体に異常をきたしているが、
今回こそは、これを機に以降、体が不調に陥らないライフスタイルの
確立に繋げたいと思う。
客観視すると馬鹿らしい。
タバコもさっき買ってしまったが、
これもそろそろ馬鹿らしい。
ただ、朝が怖いので、買った。
最近しょっちゅう思う。
いつ頃からか正確には記憶していないが、
子供の頃から、こいつら、ニコチンとアルコールに頼りすぎていた。
環境の所為にするのは大人気ないかもしれないが、
確かに、環境の所為もあっただろう。
それに順応していく体も意識も。
自分に甘い自分もいた。
もうええ歳なので、自分で決めてやろう。
決定権の自己への移譲。
別に今まで自分を喪失して、呑まれていたわけではないが、
そこにしか自分の最後の楽しみと、生きている赦しがないと思っていた感がある。
俺がアルコールを摂取し、ニコチンを摂取する。
当たり前のことだが、俺が主体的にアルコールを摂り、主体的にニコチンを摂るのである。
確かに心と体が密接に関係していて、俺はそれを実地で感じて学び知っている。
この関係性を良好にしてくれるのであるが、
アルコールちゃんとニコチン君は。
しかし、それが所以で、医者には不調がおきていると言われる。
非常に歯がゆい。
一日や二日、例えば頑張って一週間我慢すれば、すぐ元通りになると言われても、
それが中々できないでいた。
思いっきり不調の絶頂になって強制的に不可能を感じるまでは。
難しいことはなんにもないし、
俺にはできる。
はい、
決して時間も無駄にはしていないし、人生の損もしていません。
楽しい気分になることだってやりようによっちゃ簡単である。
勿論、今の今まで呑んできた酒に無駄は無い。
自分にとってプラスであったに違いない。
俺は酒とタバコで成長してきたんだから。
そしてこれから呑むであろう酒の一滴たりとても、
そうであるには違いない。

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