2007年6月25日月曜日

中場利一とチャールズ・ブコウスキー

二人の男がおりまして、僕は彼らを師匠と称します。

作家としていかがなものかは評論できません。
僕は評論家ではないし、文芸の知識も無いから。

キーワード。
田舎、下町、貧乏、学業不良、酒、劣等感、開き直り、恋愛、女、セックス、人生、社会不適合、生まれ素性、浪漫、哲学、音楽。

結局言葉でまとめて正当化。

中場利一とチャールズ・ブコウスキー。

中場利一は書いた。

「相手の女はカラッと言うが、男はキンタマというものをぶらさげている分、『こだわり』というものも、同様にぶらさげているのである。失ってから初めて「いい女だったんだ、もったいない」ということに気付いた過去を、いまだにぶらさげていきている。」

昔付き合ってた女に再会することほど嫌な事は無いってことについての、著者の所感、哲学である。
ボブ・ディランも歌ってる一部全くおんなじこと。
中場がボブ・ディラン好きかどうかはわからない。


チャールズ・ブコウスキーは書いた。

「生きるということ。そして死ぬということ。誰一人そこから逃れることはできない。私たちはこの世界にったった一人でやってきて、たった一人で去っていくのである。そのほとんどが寂しく、おびえて、人生の大半を無駄に送るのだ。・・・いまこうして生きていても、死はかならずやってくる。生まれたばかりのこの子供らだが、やがて憎しみをおぼえ、阿呆になったり、ノイローゼになったり、馬鹿になったり、弱虫になったり、人殺しになったりする。生きたって死んだって、どのみち無ではないか。・・・そんなことを思ったら、私はたとえようもない悲しみに襲われた。」

行きずりの女との間に産まれた子を病院に見に行ったときの、著者の所感、哲学である。
東南アジアの戦地で熱病にかかり、まったく子種のなくなった爺さんがおんなじようなこと言っていた。

僕は、中場を自身の経験にすり合わせて読んでいる。ブコウスキーは経験半分、思想半分すり合わせて読んでいる。


人柄としては、喧嘩の花道は中学で、友達が町で一番強いヤンキーの兄ちゃんにどつきたおされてしばき倒されて、鼻血だらだらションベンもらし泣いてすんません言うてる光景を目にして以来、辞退した僕としては、腐っても学生の身に隠れ、映画や音楽、文学、酒に溺れ、逃げて、世間を斜に構えて見て、おめこに狂ったブコウスキーの方がはるかに親近感を覚える。

もちろん、中場も大阪南部だったり、偶に出てくる和歌山弁、泉州弁などに共感を覚える。でも僕の育った地域は大阪の北部の田舎と和歌山の南部の田舎に、浮世離れした学生街の京都や大阪の梅田や神戸の三宮だ。勿論、生まれ育った家族の周辺には金持ちの人は少なかったし、グレル子らも多かったけど、中場の描く岸和田ほどじゃないし・・・。

現に僕は、ブコウスキー同様、定職についてしまったし。
勿論その現実をぶち破るほどの才能などないのだけれども。


二人の共通点と、違い。
違いは簡単、欧米人と日本人。
でも共通点は山ほどある。

僕は、彼らの共通点に興味、関心が集中して、
且つ自分にすりあわせるのが目下楽しくて仕方がない。

どっちともブームは去ったけど。

非常に面白い。

ふとしたことで。

あんま誰も雑誌とかで二人の共通点に関しての評論見たことないでしょ?

2 件のコメント:

タイチョップ さんのコメント...

とりあえず、誘われるがままに来ました。
話にあまりついてけてません。

隔離んゴッツ さんのコメント...

とりあえずありがとう。
また、昔、偶然話題が共通したジャンジュネみたいに文学の話したいね。