生きる意味をゲンジツテキに考察ぶちかましたい。
今日は久しぶりに酔っているが・・・
お給料貰って、家賃払って、メシ食って、酒呑んで、ほにゃららする、その意味を問いたい、小生、隔離んゴッツは・・・。
結局、労働者(被雇用、雇用問わない、資本主義に基づいてのみしか・・・)としてのみ現実社会にはありえないのである、君も私もどこの誰とも。
しかし、なんか心もやもや、なんでだろう?
月20万、家賃6~7万、月2万貯金、30歳なったら結婚か????
んな~阿呆らしい。
ここで私の立場を表明しておきたい。
私は自己実現肯定論者である。
「形而上学とは、語の意味が示差的な関係においてあるにすぎないのに、意味を超越論的なイデアとしてとり出すことである。」(柄谷行人、『マルクスその可能性の中心』講談社学術文庫、1990年、p.50.)
結局、「価値」ってのは「差異」ってものにあるとぼくなんかは思うのだが、どうだろう?
「経済的価値」を除いて「価値」ってこの世の中たくさんあると思うのですが、たとえば、コノ人の魅力、コノ物(車、女、酒、服、家・・・例えばね、)の魅力、それが、とある思想に紐付けされてはいやしないかい?
僕は資本主義のことが言いたかった。
「価値の同一性を、人間およびその労働力の同一性にもとめることは同義反復であって、なんら問題の解決にならない。」(同書、p.48.)
そらそうである。
ともかく、なんかこの枠組み飛び越えることができそうな、根拠は無いけど、気はするのです。
用事あるので、今日はここで退散!
失敬!

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